ストーリー
大橋組は、現在の代表・大橋信之の曽祖父である大橋喜多郎が昭和初期に岐阜県安八郡で起こした建築木材の製材所をルーツとしています。その後、大工となった長男の大橋信夫が住宅建築業を開始したのを機に1944年、大橋組が誕生。父から受け継いだ材木の目利き力や製材職人との絆を強みに、地域の戦後復興の一翼を担い、今日に至る事業基盤を築きました。
転機が訪れたのは昭和30年代。信夫は大橋組のさらなる成長をめざして、地元自治体の公共建築工事への参入にチャレンジします。そして、それまで蓄積した技術力や信頼が学校をはじめとする大型工事の受注に結びつき、高度経済成長の波に乗って民間の建築工事の依頼も相次ぎました。1965年には改組し、株式会社大橋組として新たな船出を切ることとなります。
1970年代に入ると、事業を引き継いだ大橋喜代一は土木業への進出を模索します。その足がかりとして、滋賀県の上下水道工事を受注。総合建設業へと進化を遂げ、岐阜県の公共土木工事も請け負うようになりました。一方、建築工事も順調に実績を積み重ね、墨俣一夜城や庁舎をはじめとする地域の多くのシンボル的な建物の建築工事プロジェクトに携わりました。
大橋組は、時代の変化やお客様のニーズに呼応する形で事業領域を広げ、地域社会の発展とともに歩んできました。しかし私たちが今後も必要とされ続けるためには、凡事徹底を実践する傍ら、新たな価値を生み出していくことが欠かせません。未来のあるべき姿を描き、従来の請負工事の枠組みや方法を超えた試みにも挑戦することで、建設業の高みをめざしていきます。